2007年05月25日
* 橋 * 山
* 橋
道の外れに 橋ありき
対岸(むこう)は 花街 三業地
その名も怪し 高田原(こうだばる)
軒を連ねし 仇し店
紅燈を背に 宵闇の
陰に佇(たたず)む 白き姿
憂(う)き現世(うつしよ)の業(なりわ)いは
項(うなじ)に絡む 苦の証(あか)し
風が嬲(なぶ)りし 後れ髪
遠き虚空に 星落ちて
その身凭(もた)せし 欄干の
石に染(し)みるや 泪あと
流れし夜に 何を乞(こ)う
川面は暗き 水湛(たた)え
問うに応うる 声も無し
南に小さき 家並び
北に哀しき 運命(さだめ)あり
知るや知らずや 代継橋
* 山
白河の辺(ほと)りに 住まいて
遥か彼方に 阿蘇をのぞむ
心に浮かぶ 山ではあれど
見ゆるは 外輪の峯(みね)峯のみ
城の櫓の 石垣に昇る
苔むす石も 若葉に染まり
遠くに揺らぐ 一筋の噴煙(けむり)
山への祈り 心にあれど
山は応えず ただ在るのみ】
▼私共が育った所は、九州の熊本です。
本荘(ほんじょう)と云う町は、熊本市の中央を流れる白川(詩の中では時に白河と
書かれています。)の南側に位置しています。
地域をいわゆる山の手、下町とに置き換えていえば、まさに下町風。
どちらかと云えば少し貧しかった庶民の町でした。
東京に当てはめるとすれば、白川を隅田川に模して向島の辺り、寺島、
白髭といったところでしょうか。
その白川に懸かる代継橋を渡れば、本荘町。 代継橋の下流に長六橋。
上流に病院橋、安巳(あんせい)橋、大甲橋とならんでいました。
いのもと少年が居た家は、その代継橋のすぐ傍でした。
当時、代継橋の対岸には遊所がありました。 もちろんその界隈に女の子など、
立ち入ることも無かったのですが、戦中戦後の混乱期に、虐(しいた)げられた女性の
姿があったこと、何となく知ってはいました。
彼は子供の身でありながら、それらの哀しみまで深く理解していたのですね。
『興津千恵子さん付記より』
何時も応援、ありがとうございます。
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道の外れに 橋ありき
対岸(むこう)は 花街 三業地
その名も怪し 高田原(こうだばる)
軒を連ねし 仇し店
紅燈を背に 宵闇の
陰に佇(たたず)む 白き姿
憂(う)き現世(うつしよ)の業(なりわ)いは
項(うなじ)に絡む 苦の証(あか)し
風が嬲(なぶ)りし 後れ髪
遠き虚空に 星落ちて
その身凭(もた)せし 欄干の
石に染(し)みるや 泪あと
流れし夜に 何を乞(こ)う
川面は暗き 水湛(たた)え
問うに応うる 声も無し
南に小さき 家並び
北に哀しき 運命(さだめ)あり
知るや知らずや 代継橋
* 山
白河の辺(ほと)りに 住まいて
遥か彼方に 阿蘇をのぞむ
心に浮かぶ 山ではあれど
見ゆるは 外輪の峯(みね)峯のみ
城の櫓の 石垣に昇る
苔むす石も 若葉に染まり
遠くに揺らぐ 一筋の噴煙(けむり)
山への祈り 心にあれど
山は応えず ただ在るのみ】
▼私共が育った所は、九州の熊本です。
本荘(ほんじょう)と云う町は、熊本市の中央を流れる白川(詩の中では時に白河と
書かれています。)の南側に位置しています。
地域をいわゆる山の手、下町とに置き換えていえば、まさに下町風。
どちらかと云えば少し貧しかった庶民の町でした。
東京に当てはめるとすれば、白川を隅田川に模して向島の辺り、寺島、
白髭といったところでしょうか。
その白川に懸かる代継橋を渡れば、本荘町。 代継橋の下流に長六橋。
上流に病院橋、安巳(あんせい)橋、大甲橋とならんでいました。
いのもと少年が居た家は、その代継橋のすぐ傍でした。
当時、代継橋の対岸には遊所がありました。 もちろんその界隈に女の子など、
立ち入ることも無かったのですが、戦中戦後の混乱期に、虐(しいた)げられた女性の
姿があったこと、何となく知ってはいました。
彼は子供の身でありながら、それらの哀しみまで深く理解していたのですね。
『興津千恵子さん付記より』
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Posted by 葡萄 at 04:43│Comments(0)
│「故郷」編

