2007年07月22日
【付記 ① 市中のあれこれ 】
※( 付記 ) 編集者:興津千恵子さん(小学校の同級生)後書きより
当時の熊本の繁華街として、衣服や装飾品などを扱う商店を多く連ねた、通りの名が下通り。
書店やレコード店など、どちらかと云えば趣味性の強い商品を、主として扱う店が揃っていたのが
上通りでした。
上、下の通り全体が、今でいうショッピング・モールのような感じでした。
それに比して、映画演劇、飲食店などが多く集っていたのが新市街。
世の移り変わりをそのまま映すような名、電気館、世界観、ニュース館などがありました。
市の南西に熊本駅があり、その背後の小高い山が花崗山」。
戦後すぐ頂上に仏舎利塔設けられました。
ここは熊本城御幸(みゆき)坂に並ぶ櫻の名所でした。
その花崗山に連なる高い山が金峯山。
今では頂上にアンテナが林立し、自動車道もできて、山容もすっかり変わりました。
ここへと辿る山路の途中に夏目漱石の「草枕」の書き出しで有名な、峠の茶屋が今も
残されています。
熊本市街は、市中に大樹の数が多く、今では市街地の開発によって、最程(さほど)でも
なくなりましたが、私達の子供の頃には、家並みも樹々に埋れていて、仙台と同じく
杜の都称されていました。
市の中央に加藤清正公築城の熊本城があり、城壁の石積みの見事さで知られています。
外観の印象はまさに質実剛健。 姫路の白鷺城とは好対照です。
この城(別名・銀杏城)は、西南の役(えき)の際に消失した、との風説もありますが、
実情は薩軍の攻撃前に、すでに本丸は消失していました。
失火か故意か?真相は今究明されようとしています。
応戦した谷干城率いる熊本城の勇猛ぶりは史実に残るとおりです。
この戦役にも無事で、昔ながらの姿を保つ宇都櫓は、城郭の一周に今も残されています。
天守閣は戦後しばらくして再建されました。
つづく
応援有難うございました。♡
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当時の熊本の繁華街として、衣服や装飾品などを扱う商店を多く連ねた、通りの名が下通り。
書店やレコード店など、どちらかと云えば趣味性の強い商品を、主として扱う店が揃っていたのが
上通りでした。
上、下の通り全体が、今でいうショッピング・モールのような感じでした。
それに比して、映画演劇、飲食店などが多く集っていたのが新市街。
世の移り変わりをそのまま映すような名、電気館、世界観、ニュース館などがありました。
市の南西に熊本駅があり、その背後の小高い山が花崗山」。
戦後すぐ頂上に仏舎利塔設けられました。
ここは熊本城御幸(みゆき)坂に並ぶ櫻の名所でした。
その花崗山に連なる高い山が金峯山。
今では頂上にアンテナが林立し、自動車道もできて、山容もすっかり変わりました。
ここへと辿る山路の途中に夏目漱石の「草枕」の書き出しで有名な、峠の茶屋が今も
残されています。
熊本市街は、市中に大樹の数が多く、今では市街地の開発によって、最程(さほど)でも
なくなりましたが、私達の子供の頃には、家並みも樹々に埋れていて、仙台と同じく
杜の都称されていました。
市の中央に加藤清正公築城の熊本城があり、城壁の石積みの見事さで知られています。
外観の印象はまさに質実剛健。 姫路の白鷺城とは好対照です。
この城(別名・銀杏城)は、西南の役(えき)の際に消失した、との風説もありますが、
実情は薩軍の攻撃前に、すでに本丸は消失していました。
失火か故意か?真相は今究明されようとしています。
応戦した谷干城率いる熊本城の勇猛ぶりは史実に残るとおりです。
この戦役にも無事で、昔ながらの姿を保つ宇都櫓は、城郭の一周に今も残されています。
天守閣は戦後しばらくして再建されました。
つづく
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Posted by 葡萄 at 04:10│Comments(0)
│【 付記 】

