2007年07月30日

【付記 ② 先生がたの事 】

 ※( 付記 ) 編集者:興津千恵子さん(小学校の同級生)後書きより 

 当時わが校から、唯ひとり航空機乗務員養成所に入所した志賀亟さんは、半年も経たずしての
終戦で、帰郷。そのまま復学もせずに消息が絶えました。
ある日、皆の前に表れた時には、「雨やどり」と名付けたお酒の店の亭主。
その後すぐ病を得て亡くなりました。 決して居酒屋だからどうのと云うのではありません。
それはそれで達観の人生であったのでしょう。

ただ級友としての目から見れば、彼はクラスの級長も勤め、いづれは必ず一廉(ひとかど)の
人物に成り得ると皆に嘱望された人材でした。
戦争が彼の人生を変えた、とそうは云えないでしょうか。
先生にも生徒にもそれぞれの人に、戦争は後々まで深い傷あとを残していたのです。

 また、萩尾先生は、いのもとさんが出席し、話が弾んだ学年会から暫くして、お住まい近くの
上通りの街角で、工事中に屋上から落下してきた看板を身に受け、お亡くなりになりました。
なんとも儚いお命でした。
 
 謹んで鬼籍へ入られた方々の、ご冥福をお祈り致します。






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