【 配給の頃 】 【 ぼした祭り 】

葡萄

2007年07月25日 12:40

 ※( 付記 ) 編集者:興津千恵子さん(小学校の同級生)後書きより

*【 配給の頃 】
 
 昭和16年12月に第2次世界大戦が始まり、敗色が濃くなるにつれて物資も不足し、石油など民生用には与えられず、自動車も木炭を焚いて走りました。
やがて食料、衣服に到るまで統制の対象とされ、配給と称して定量が与えられましたが、
それだけではもとより十分とは云えず、皆とても困りました。

ただ、そうした状況でも、世の中には常に裏道があるもので、その末端の配給所で給付される量は
少なくとも、流通の過程で闇に流れるものも少なかったでしょう。
いのもとさんの身の囲りが配給所で、そうした抜け道を横目に見ながら、正義感の強い性格からして
許せぬと心を痛めていたのでしょう。



*【 ぼした祭り 】*ボシタ祭り(5/28)

 お祭りにふれましょう。 市の中央に藤崎宮の社(やしろ)があります。
毎年9月15日に遷宮の祭儀があり、それを随兵(ずいびょう)と呼んでいきました。
この掛け声の意味が、秀吉の朝鮮戦没で敵を滅ぼした、との意味があるのではとの
疑惑も起り、今では控えられるようになっています。
本来は卑属な意味もあるらしいのですが、とにかく戦前からの楽しいお祭りです。

藤崎宮・秋の大祭(馬追い動画)



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