2007年07月23日
【付記 ② 市中のあれこれ 】
※( 付記 ) 編集者:興津千恵子さん(小学校の同級生)後書きより
城から離れた北東の位置に、水前寺公園があります。
肥後熊本の藩主として、細川忠利公が豊前(ぶぜん)小倉から熊本城に入られた後、
花畑(現花畑町)に国許屋敷を、出水(いずみ=水前寺公園近く)に、別墅(べっしょ)屋敷を設けられました。
その、別墅屋敷が今の水前寺公園に当たります。
またこの地に豊後から羅漢寺を移して水前寺と呼ばれた事からこの名になりました。
後にこの寺は廃されましたが、名のみが今にまで残されているのです。
また、細川綱利公の時代に「国府のお茶家」と呼ばれていた邸内の茶屋に、富士を模した
築山や湧水を利用した泉水などの庭園が造られ、陶淵明の詩の一節から「成趣園」と
名付けられました。
明治十一年には、園内に出水(いずみ)神社が建立され、この庭園も社地として政府より
払い下げられ、市民に開放される事になりました。
今はさほどでもなくなりましたが、熊本は地下水が豊富に湧き、近くには湧水から成り立った
江津湖(えずこ)があります。
この湖の水温は年中16℃~18℃を保ち、夏鳥・冬鳥が一緒に棲息していられて、
野鳥の宝庫としても知られています。
昔は市内の水道水も湧水によって賄われていた程です。
郊外の「八景水谷」と云うところに、市の取水池がありました。
つづく
応援ありがとうございました♥(^。^)♥
【 blogランキング 】
城から離れた北東の位置に、水前寺公園があります。
肥後熊本の藩主として、細川忠利公が豊前(ぶぜん)小倉から熊本城に入られた後、
花畑(現花畑町)に国許屋敷を、出水(いずみ=水前寺公園近く)に、別墅(べっしょ)屋敷を設けられました。
その、別墅屋敷が今の水前寺公園に当たります。
またこの地に豊後から羅漢寺を移して水前寺と呼ばれた事からこの名になりました。
後にこの寺は廃されましたが、名のみが今にまで残されているのです。
また、細川綱利公の時代に「国府のお茶家」と呼ばれていた邸内の茶屋に、富士を模した
築山や湧水を利用した泉水などの庭園が造られ、陶淵明の詩の一節から「成趣園」と
名付けられました。
明治十一年には、園内に出水(いずみ)神社が建立され、この庭園も社地として政府より
払い下げられ、市民に開放される事になりました。
今はさほどでもなくなりましたが、熊本は地下水が豊富に湧き、近くには湧水から成り立った
江津湖(えずこ)があります。
この湖の水温は年中16℃~18℃を保ち、夏鳥・冬鳥が一緒に棲息していられて、
野鳥の宝庫としても知られています。
昔は市内の水道水も湧水によって賄われていた程です。
郊外の「八景水谷」と云うところに、市の取水池がありました。
つづく
応援ありがとうございました♥(^。^)♥
【 blogランキング 】
Posted by 葡萄 at 03:47│Comments(0)
│【 付記 】